思春期迷路

□ 『山犬と御子の国』本編 □

1-5


 真夜中の平原地帯。
 まるで黒く塗り潰されたような闇の中に、ぽっかりと丸い月だけが浮かんでいる。
 星の見えない、奇妙で奇怪な夜だった。
 大集落の家々はひっそりと寝静まっていて、灯りさえともってうばう、それが更にこの夜の闇と静寂とを際だたせている。物見櫓(ものみやぐら)の見張りの火灯りだけが、ちらちら薄ぼんやりとひらめいて見えた。
 ――――そんな中。
 ひらり、とボロ切れのような布が夜風に大きく翻(ひるがえ)る。
 まるで闇を縫うようにして、一人の老人が歩いていた。
 ……オトヒコだ。普段はゾロゾロと護衛を付けて歩いているが、今は一人で行動しているようである。実は大人数で行動することを嫌っていたり、ボロを好きこのんで纏ったりと、この老人はどうもワザと狷介(けんかい)ぶる節があった。
 集落は広く、深く、老人の足では到底倒破できそうもないほどである。
 小高い場所からすいと見渡しただけでも、竪穴式住居は八十を越え、見張りのための物見櫓(ものみやぐら)は六棟を越えていた。見張りはオトヒコに気づく気配もなく、こんこんと眠りこけている。
(……あーあ。不用心)
 櫓から見えるわずかな火灯りをほんの少し眺めた後、老人は再び闇を縫うようにして歩き始めた。夜という時間帯のためか、行き交う人の姿は皆無で、たまに見かける守衛らしき戦士たちもオトヒコには気づかない。
(不用心。不用心すぎるよ全く。……まあ、僕が気配を消しているのが悪いんだけど、天下のヤマタイ国がこんな『がらすき』な警備でどうするつもりなんだかねえ)
 心の中で苦笑しながら、オトヒコは足を早めて先を急いだ。
(ま、敵国のクナ国が遠いからね。首都はどうしても油断で警備がヌルくなっちゃうのかな)
 ――――冷えた空気を天然の城壁のように張り巡らせ、ヤマタイ国は存在していた。
 それだけではなく実際に大木で作られた柵(さく)を曲走させて、集落を守っているようである。この時代には珍しい大規模な集落だから、自然とそれを守る仕掛けも大がかりになっているのだろうか。
 柵の外側には農家が、内側には権力者たちの住処がある。敵の侵略から王都を守るために、この国は幾重にも柵と濠(ほり)を張り巡らせていた。
 何度も柵の間をくぐり、何度も堀の上にかけられた橋を渡りきった後、オトヒコはようやく立ち止まり、屋敷群の中で一際大きな堂宇を見上げた。立派な屋根の造りと言い、高床式の設(しつら)えといい、高貴な人間が住む場所であることは間違いない。
 ここが女王の住処なのだ。
 入り口にたっていた屋敷の見張りらしき男が、驚倒したように目を見開いた。
「オ、オトヒコ様!! このような時間に……!」
「『姉上』に会いたいんだけど、今は大丈夫かな?」
「も、も、もちろんでございます! ささ、どうぞ!」
 見張りは弾かれたようにその場に土下座し、深く深く頭を下げた。自分より身分が高い者に出くわしたら、誰もがまずこうしなければならないのである。
 見張りの言葉にオトヒコはうなずき、そのまま屋敷の中に入っていった。『姉上』の屋敷に入ることを許されているのは、事実上オトヒコだけだった。後は数名の采(うめね)と呼ばれる女官たちのみ。天女王は決して人前に姿を現してはならないことになっている。
 ぎい、ぎいと音を立てて、鼠返(ねずみがえ)しのついた急勾配の階段をのぼりきり、オトヒコは戸口を覆う御簾(みす)を跳ね上げ、屋敷の中に入っていった。入った途端に篝火の明かりが彼を迎え、オトヒコは無意識のうちに目を細める。
「……ふう」
 オトヒコはため息をつくと同時に、ひょいと杖を振り上げた。
 ……すると、どういうことだろうか。彼が杖を振り上げた瞬間にぐにゃりと周囲の空間がゆがみ、見る間にオトヒコの姿も歪んだ。歪んだ彼が元に戻ったときには、彼は『老人ではなくなっていた』。驚くことに、年若い青年の姿になっていたのである。見るからに優しげな、人なつこさのにじみ出た青年である。よぼよぼの老人とは似ても似付かない外貌だが、大きな瞳だけがかろうじて原型を止めていて、つまり彼は若返りの術を使ったのだった。
「あー……つかれた」
 肩をぐるぐる回しながら、オトヒコは老人のように深いため息を付いた。
 ――――不可思議な現象が当たり前のようにまかり通っていたこの時代、呪術や人外の術は広く人々に伝わっている。だが、姿を変えるほどの高度な術となると、修得している者はマレだった。おそらくオトヒコ自身、単なる『女王ヒミコの弟』ではなく、かなりの力を持った呪術者なのだろう。
「……ただいまー。姉上」
 ――――ぱちん、と篝火(かがりび)の炎がはじける音がする。
 広すぎる屋内の中で、オトヒコは姉に向かって呼びかけた。
 宮室、とよばれているこの部屋は、ほんの僅(わず)かな声でも反響するほど広い。広すぎるこの場所にはたった一人の女性しか居なかった。
 ヤマタイ国女王ヒミコ。……王弟オトヒコの『姉』といわれている女である。
「……ん? ああ、お前だったか」
 オトヒコの呼びかけに、考え事をしていたらしい女がふっと顔を上げた。
 ――――驚くほどに白い髪と、太陽に愛されたような褐色の肌を持った若い女である。はっとするほど鮮やかな輪郭を持った美女であるが、明らかに異邦人だっら。一方オトヒコはといえば、これもまた美しいといえる外貌なのかもしれないが、見るからに倭国出身と分かる人種である。異邦人という雰囲気は全くない。
 ……『女王ヒミコ』は『王弟オトヒコ』の姉であるのに、なにもかもあべこべなこの二人が本当に『姉弟』なのだろうか?
「こんな時間に何のようだオトヒコよ……ひょっとして、たった今帰ってきたのか?」
「うん、たった今ね。クナ国との国境線あたりをちょろーっとしてきたんだけど」
「ほう。……の、ワリには集落がえらく静かじゃないか。王弟様のご帰還ともなれば、もっと大騒ぎになるはずだが?」
「騒がれるの、嫌いなんだよ。だから夜闇に紛(まぎ)れてこっそりと帰ってきたというワケ」
 歩きすぎてもうヘトヘトだよと笑いながら、オトヒコは藁(わら)でできたムシロの上にどっかと座り込んだ。
 ――――クナ国、と聞いたとたんに女王の表情がほんのすこしゆらいだように見えたことには、オトヒコは敢えて気つかないフリをした。
「……。……そうか」
 と、静かにヒミコは答え、すぐに仮面のような無表情に戻る。……彼女はいつも、まるでは虫類か何かのようにじっとしていて、滅多なことでは動じない女だった。
「知りたくないの? クナ国のこと」
 オトヒコがわざとらしく首を傾げる。ヒミコは軽く首を振った。
「お前からわざわざ聞きたいことはないな。どうせ有ること無いこと好き放題吹き込まれるに決まってるからな」
 にべもなくはねつけて、女王は静かに目を瞬く。
 彼女の肌には一面に白い入れ墨が施(ほどこ)されていた。たくさんの白い線で出来たそれは、『鯨面文身(げいめんぶんしん)』とよばれるものだった。弥生時代の人々にとって大切なまじないの模様である。ふつうは赤い丹(に)の塗料を使うのだが、女王の入墨は真っ白だ。まるで何かの呪(のろ)いのように彼女の体を覆い尽くしているそれは、しかし不思議なほど彼女の外貌になじんでいる。
 女王の迷路のような入れ墨を目でなぞっていたオトヒコは、しかし次の瞬間の女王の声で我に返った。
「で、クナ国のことはどうでもいいが……オトヒコよ、外の様子はどうだったんだ?」
「……。……え? ああ、うん。まったくひどいアリサマだよ。治安は乱れ、敵国は領土を蹂躙(じゅうりん)し、化生どもの増加も止まらない……もはや一刻の猶予もならぬ、って感じかな」
 オトヒコはふんと鼻を鳴らしながら、
「前々から言ってると思うけど、君の『跡継ぎ』……一刻も早く見つけなきゃあならないよ。見つからなければこの国は終わる」
「そう思うか、オトヒコ」
「十割がた。ね。今この国は君の力だけで持っているようなものなんだ。もともと君がが作った国だから、君が居なくなればあっさりと存在する理由を失って、滅びてしまう」
 そう言って、オトヒコは片手で顎をなでた。人なつこい表情を真剣なそれに改めて、
「もともと百近くある国を無理矢理『一人の女王』のもとにまとめ上げようとしたのがヤマタイ国だったんだ。まとまれば確かに大国としての力は発揮できる。……だけど、君という名の『中心核』が失われてしまえば、ヤマタイ国はあっさりと元のバラバラの小国の群れに戻ってしまうだろうね」
 他の国長(くにおさ)どもではこの国をまとめきれないだろうから、と噛んで吐き捨てるように続け、オトヒコはため息を付いた。
「アイツら、百人近くいるのに全く役に立たないんだから。いっつも足の引っ張り合いばかりしているじゃないか。どうせ君が居なくなれば次の王を巡って殺し合いを始めるに決まっている」
「うーむ、それでは何のための連合国家なのか分からなくなってしまうな」
 ヒミコが同意した。
「元々『化生』や『魔生』に対抗するために連合国家を作ろうと呼びかけたつもりだったが……人間同士の争いにまでは気が回らなかったな。跡継ぎを早く見つけることをかんがえねば」
 ヒミコは無表情のまま肯いた。そのまましばらく黙っていたが、ふっと憂色に眉をひそめて、
「……併(しか)し、それにしても一向に見つからぬ。御子たる資格を持った人間などそうそう見つかるはずがないと分かっていたつもりだったが……」
「うん、それは困ったもんだよねえ」
 ため息混じりに天井を見上げながら、オトヒコはあぐらをかいていた足を伸ばした。
「今回の視察でもそれとなーく探してみたんだけどさ。結局跡継ぎ候補にふさわしい人物は見つからなかったんだよね」
「そうか」
「というかねえ、正直言って国中が異様な雰囲気で、跡継ぎ候補を探せる状態じゃなかったんだよ」
「……異様な雰囲気?」
 ヒミコが顔を上げると、オトヒコはゆっくりと頷いて見せた。
「うん。『魔生』が沸いているからね。……国を滅ぼすあの魔物が」
 そう言って、オトヒコは肩をすくめて頭を掻いた。悪い方へ、と断言する彼の顔には、客観的に事実を述べる学者以上の色はない。
「誰もが予測できない未来におびえていて、不安のあまり気がおかしくなる者が増えているんだ。希望も願いも失って、意味の分からない犯罪に走る者も増えているんだ」
「それは本当に魔生の仕業か?」
「ある意味ではね。もちろん心の弱さのせいで凶行に走ってしまう人間も沢山いるよ? だけど魔生に取り憑かれておかしくなった人間も、かなりの数にのぼっているんだ。ヤツらが暴れる理由は滅茶苦茶だから、魔生に憑かれているかどうかはすぐに分かる。極端な話、茶碗が割れた程度の理由で自分の一族を皆殺しにしたりするからね」
「うむ、そうだな」
「人に憑き、人を惑わし、人を並外れた凶行に駆り立てる『形無き想念』……魔生。どこかの誰かの断たれた願いが、歪んで歪んで別の人間に流れ着いたモノ。魔生に憑かれた人間は必ず誰かを傷つける。そうすると傷つけられた人間がまた『魔生』を産みだし、治安は更に悪化する……と。全く、悪循環だね」
 オトヒコは軽くため息をついた。
 そして何でもないことのように頭を掻きながら、先ほど自分が立っていた戸口の方に目を転じる。
「――――ところで、君は一体何してんの?」
 そこには先ほどの見張りの男が立っていた。
 うつろな目で、棒のように立ち尽くしている。
 オトヒコはそれを見て、面倒くさそうに立ち上がりながら、
「……呼び出した覚えはないんだけどねえ」
 と、見張りの男に向き合った。面倒くさそうな表情を崩そうともせずに、ほんの少しだけ笑顔を浮かべ、
「……何かいったらどうなんだい。黙ってちゃ何も分からないよ?」
 と、言い放った。しかし見張りはうつろな目のまま口元を震わせるばかりである。
「……え? どうしたのさ。顔色悪いよ?」
「……」
「……あのさあ、君。何か言ってくれないと僕もぜんぜん分かんないよ」
 だんまりを通す男を前に、オトヒコは軽いため息をついた。
「何でココに入ってきたのか教えてくれないかなあ。喋ること、許可してるよ? 何か話してくれなきゃ何も分かんないんだけど」
「オトヒコ、気をつけろ。ソイツ、様子がおかしいぞ」
 後ろからヒミコが口を出した。
「見りゃ分かるよそんなこと」
 オトヒコが憮然としたまま返事を返した。
「やれやれ……こんな中心部にまで『こんなもの』が入り込むとは……」
 彼は老人姿の時から持っていた杖を武器のように持ちかえて、ゆらりとそれを下段に構えた。冷たい瞳で男を見据え、
「……ねえ君、本当に何も話す気はないワケ?」
「……」
「だったら、女王の寝所に無断で入り込んだ者を生かして置くわけにはいかないね」
「……」
「何を言っても駄目みたいだね。……ならば速やかに没倒せしめ、墓場の草にしてくれる!!」
 言い様に、オトヒコは男の懐に突っ込み、杖を勢いよく振り上げた。
 見張りの男はガクンと顎を跳ね上げられて、体ごと天井に吹き飛んだ。……いや、そうではない。跳ね上げられた力を利用して、大きく後ろに飛びずさったのだ。
「ゴ、ゴフッ……た、ぞ……」
 口から流れる赤い血に構いもせず、男は血走った目をオトヒコに向け、ボソボソと何事かを呟きはじめた。
「……ん……だぞ……」
「は?」
「……つ……かんだ……ぞ……」
「ツカンダゾ?」
 オトヒコが首を傾げた。まるで聞き慣れない外国語を聞いたような様子である。男は血まみれの口でニタリと笑んで、「証拠は確かに掴んだぞ!」と、はっきり叫んだ。
「……姉弟でありながら邪恋に堕し、人目をはばかる仲と相成っていたというキサマ等の噂……証拠は、証拠は確かに掴んだぞ! キサマらの弱み、確かにこの俺が握った! これをネタにキサマらを政治の表舞台から引きずり落としてやる!」
「ジャレン? ヨワミ?」
 オトヒコが一層ワケが分からないという顔をした。
「邪恋って……恋のこと? 僕ら世間話をしてただけじゃないか。世間話をすると邪恋に身を焦がしたことになるワケ?」
 人なつこさのにじみ出た目をあきれたように見開いて、
「ワケが分からないよ。女王は弟としか相談しないって言うのは周知の事実だろう? 一体ドコをどう解釈すれば恋人疑惑につながるんだよ」
「ふん、今の我々の姿を見れば誤解する者も居るだろうさ……美男美女で、見るからに似合いの恋人同士であろう?」
 いけしゃあしゃあと女王ヒミコは言ってのけ、いつの間にか白い剣を構えてオトヒコの横に立っていた。白い刀身は火の灯りを反射して、不思議なほど光を放っている。
「……勘違いしてもらえる分にはうれしいけどねえ」
 オトヒコが憮然として言い放った。
「強いて言うなら僕ら、戦友だよ。恋なんて仲じゃない。五十年前に振って振られてそれきりの仲だっていうのに」
「口を閉じろ汚らわしい政敵どもめ! おまえたちなどこの私が粛正してやる! 粛正してやる! 首をはねて粛正してやるうぅああああぁあぁぁぁああ!!!」
「……政敵?」
 オトヒコが眉をひそめ、その横でヒミコが頷いた。
「うむ、私は読めたぞ。あの見張りの男、体に無理矢理魔生を入れられたんだ。それも、どこかの国長の手によって」
「なーるほど。僕らを敵視しているヤツらって、そんなヒドいことまでしてくるような連中だったんだねえ」
 敵と間合いを取りながら、オトヒコが得心した風に笑った。ヒミコがそれに頷きながら、
「そういうことだ。全く、ヤマタイ国の奥深くまで、よくぞ入り込ませたものよ」
「しょうがないよ。虫ケラはどこにでも入り込んでくるものだからね」
 二人の会話は男の絶叫でかき消された。男ががむしゃらに剣を振り回して飛び込んできたので、二人は別方向に別れて飛んでよける。
「あらかた私とお前の弱みを見つけるように命令されていたんだろうよ。それが魔生が暴走を起こして、あのザマか」
 男と間合いを取りながら、ヒミコが冷静にそう言った。
「あががあばばあがあばば!! ここ、こ、殺してやるうぐががががあぁぁああ!」
「ヒミコちゃんヒミコちゃん、あの人もはや日本語をはなすこともままならなくなってるよー」
「うむ、もはや収拾がつかんな。魔生はともかく、あの見張りの命は助けてやりたいと思っていたのだが……おっと」
「があああぁぁぁぁあああっ!!」
 男は形振りかまわず暴れ出した。
「殺してやる……殺してやる……殺してやる……おまえたちを殺して、ワガハイがヤマタイ国の覇権を握ってやる……!!」
 先ほどまでの黙りぶりから一変して、男は口から泡を吐き体中を痙攣させ、剣を構えてオトヒコとヒミコを睨んでいる。
「あの見張りさん、完全に魔生に取り込まれたようだね」
 遠くから男を観察しながら、オトヒコが痛ましげに呟いた。
「自分で自分をワガハイなんて言っちゃってるよ。元々そんな人じゃなかったんだろうに、気の毒だなあ」
「うむ、私の知る限りでは、自分で自分をワガハイ呼ばわりするような阿呆はマツロとフミとイッキ国の長だな。喜べオトヒコ、容疑者が三人に絞れたぞ」
「そ、それどころじゃないって……うわあ!」
 オトヒコは慌てて男の太刀筋を避けていた。紙一重、ともいえる避けぶりで、口から泡を吐きたいのは男ではなくむしろオトヒコの方であるように見えた。
「マズいこの人……かなりの剣の使い手だよ!」
「当たり前だ。強くないヤツを見張りにするわけがないだろうが」
「イバってないでちょっとは僕を助けてよー!!」
 オトヒコは狂犬のように切りかかってくる男の剣からほうほうの体で逃げ回っていた。どうやら彼が得意なのは呪術の方で、運動はあまり得意ではないらしい。
「うーむ、そうしたいのは山々なんだが」
 太刀筋で男の動きを牽制しながら、ヒミコは小さく首を傾げた。
「参ったぞ。こんなときに限って私の『オオカミ』がいないとは。今の私にこの魔生を消す力はない……取り憑かれた男ごと斬り殺すことは出来るが、そうしたらコイツは別の人間に取り付いてしまう」
「あ、そうか、御子とオオカミがそろってないと魔生を葬ることは出来ない……もんね!!」
 言いざまに、オトヒコは男の剣を跳ね返して間合いの外に逃げ込んだ。肩で荒い息をしている。
「……こんな時に、君のオオカミのフリトちゃんは一体どこに行ってるんだよ。化生や魔生の退治は、元々あのコのシゴトじゃないか!」
「さあな、森に行ったきり帰って来ない。何でも弟と恋人の気配を感じたらしいが」
「弟と恋人!? 一体なんなんだよそれは!」
 オトヒコはわめき散らしながら呪術を発動させようとした。
 ……が。しかし。
 ざわりとした殺気に取り囲まれていることに気づき、反射的にその手を止めた。
「……あれ? 僕ら、いつのまにか囲まれてる?」
「ああ。化生の気配がするな」
 ヒミコが頷いた。窓から周囲を見回しながら。
「……囲まれてるな。ヤマタイ国自慢の物見櫓見張り隊は一体なにをしていたんだ」
「そういえばみんな寝てたよ。なんかおかしいなとは思ってたんだけど、成る程化生をこんな奥深くまで進入させる為に、誰かが眠らせていたんだねえ」
「……オトヒコ、お前、絶対分かっていただろう」
 ヒミコがあきれた顔をした。
「お前はどうしていつもそういう大事なことを報告しないんだ。もう少し早く分かっていれば応援を呼ぶくらい出来ただろうに」
「応援を呼んでどうするのさ。どうせ人間の力じゃ化生には対抗できないよ。クナ国と戦うための大切な軍隊を、化生に殺されるわけには行かないね」
「……そうだな。その通りだ。」
 ヒミコが苦笑した。だがすぐにその表情を改めて、
「……化生の連中。まっすぐに私を狙ってやってきているな」
「仕方ないさ。バケモノどもは『御子の気配』に敏感なんだ。何処にいたって君をつけねらってくる……」
御子の宿命だね、とオトヒコは笑ってみせる。
「にしてもこんな数が一気にくるなんて信じられないことだけどね。ひょっとしたら、化生が跋扈(ばっこ)し魔生が人を操る時代に戻りつつあるのかもしれない。……君が女王になってからは、随分と平和が続いていた。だけど今では何もかもが崩れはじめて、君が女王になる前の時代に逆戻りしたみたいになっているみたいだ」
「ふん、それならそれでかまわん」
 ヒミコは切り捨てた。
「残らず返り討ちにしてくれるわ。おいオトヒコ、お前はその魔生の男を呪術の力で縛り上げろ。私が周りの化生どもを皆殺しにしてくれる」
「了解」
「そしてすべてが終わったらフリトに説教だ。あのバカ犬め、こんな大事なときに一体ドコへ消えたんだ」
「気まぐれな子だからねえ」
オトヒコがおおらかに笑った。置かれている状況は絶体絶命そのものであるのに、みじんも動じているそぶりはない。この手の騒動になれきっているようだ。ヒミコに至っては獰猛な笑みらしきものさえ見せていた。窓から外に出て、あっという間に屋根の上にまで飛び乗って、ヒミコは剣を振り上げた。遠くからぎゃあぎゃあとケモノの無き騒ぐ声が聞こえた。闇の中、化生たちは道すがらの民家には一切構うことなく、ヒミコの居る場所だけを目指している。人ならぬ力を持つヒミコには、その様子がよく見えた。
 更けた夜はまだあける気配はない。雲は分厚く、今にも雨が降りそうだった。
「フフ、昔の血がたぎるな……。ヤマタイ国を連合国家にまとめ上げた時代を思い出す……。女王ヒミコの恐ろしさ、キサマ等の脳髄にとくとたたき込んでくれるぞ」

○●○

 一方こちら、森林地帯。月はとうの昔に黒い雨雲で隠れ、ここら一体では殴りつけるような雨が降り頻(しき)っている。
 壱与とミトは、予想外に苦戦していた。
 まず、戦士たちの数が予想以上に多すぎたのだ。敵は最初の十五人だけでなく、あとからあとから増援が沸いてでた。
 そして、終わりなくわき出る戦士たちからなんとか逃げ切ったものの、今度は化生の群に出くわしてしまったのである。野生動物の勘で襲い来る彼らは、戦士以上にタチが悪い。
 力を奪い、力を喰らうことに喜びを見いだす彼らはとてもミトと同族とは思えなかった。ミトと違って人語を解せぬのだから尚更のことだ。
「壱与、早く!」
 ミトはめずらしく焦った表情を面輪(おもわ)に浮かべていた。
 水で滑る手をつなぎなおし、行く手をじゃまする草木を荒々しい動作ではらっている。普段はなにがあっても涼しい顔をしている彼がこんなに焦っているのはめずらしかった。それくらい、今日の追っ手の数は多い。
 ざざあ、と雨が降りつける。
 天候はめまぐるしく移り変わり、今では凄雨(せいう)になってしまっていた。
 殴りつけてくるような凄まじい雨には、まさに『凄』雨ということばが相応(ふさわ)しい。
 禍事(まがごと)というヤツはこういう日を選んで起きるらしかった……そんなことを大まじめに考えかけてしまうほど、今日の追っ手の数は多かった。
(どうして……)
 と、壱与は思う。
(どうして……こんなに数が多いの……)
 雨の日にバケモノが多く出るのは、水煙にまぎれて人を襲いやすいからだ……と、どこかで誰かから聞いたことがある。それが理由か、と壱与は思った。雨が怪物を呼び寄せるというあの話……彼(あ)れは姥捨(うばす)てにされた老女の言葉だっただろうか……いや、自分たちを殺そうとした、瀕死の戦士から聞いた言葉のような気がする。
 戦士に化生、人からもバケモノからも追われている自分は一体どこに属した生き物なのだろう。
 いつ途切れるともしれない追っ手を振り切り続けながら、二人は足場の悪い山道をただ走っていた。ずるり、と足下がすべりかけたが、既(すん)でのところでミトに体を支えられる。
「っ大丈夫か……?」
「うん……何とか……」
 答える壱与の息は小さくか細い。冷えた水は着実に少女の体力を奪っていた。いつもならミトの背中に乗ればいいのだが、今はミトの怪我(けが)の量が多すぎる。少女をおぶって走るのは無理だった。
 ――――自分の足取りはミトからすればもどかしいほど遅いのでは、と壱与は思った。だが、それでも彼は決して壱与を見捨てて逃げようとはしない。逃げ捨てるなど思ってもいないようで、当たり前のように壱与の手を引いて歩いている。
「……絶対にあきらめるな、壱与。私はお前が死ぬのだけは我慢ならない」
 言い聞かせるように話しながら、ミトは壱与に歩調を合わせ、巧みに草木の陰を塗って歩いていく。凄いと思う反面、怪我だらけなのに何を手間のかかることをしているのだ、と思った。
(……逃げればいいのに……ミト一人なら、逃げられるのに……)
 寒さでぼんやりした頭で壱与は考える。逃げればいいのに。そうしたらミトは自由になって、追っ手からも化生たちからも命をねらわれることはないのに。しかし実際にそんなことを口に出せば彼が怒るのは目に見えていたので、壱与は黙ってミトの背を追いかけ続けた。
 ざあ、と雨の音が耳の鼓膜を塗りつぶし、冷えた雨が体温を奪っていく。
 壱与だけでなくミトも疲れきっていて、つまり今日は彼ら二人とも弱りきっていた。
「大丈夫、絶対に壱与は私が守るから……だから今は、急げ」
 繋いでいない方の手でボロボロになった石槍を振るい、目の前に現れた人外どもの命を絶つ。
 巨大な樹木の陰に潜り込み、壱与を休ませようとしたのだろうか、ミトは壱与を抱きしめて座らせた。
(ここなら少しは大丈夫かしら……)
 壱与が思っていると、ミトは山犬の姿に変じて壱与に寄り添った。体温を分けてくれようとしているのだろう。ぶるぶると震えているのはどちらの体だか分からない。
「ミト、いいから……」
 壱与はミトの体を押さえたが、ミトはガンとして動かなかった。
 木のウロが天井になってくれているおかげで、雨の気配が少しだけ遠ざかっている。
「……壱与を殺させるものか」
ぎゅうと壱与に体全体を押しつけて、追いつめられた獣のような表情でミトは呟いた。彼の体は血に汚れている。化生の血と、それから彼自身の血とで汚れている。ひどい怪我だ。息が荒い。ぜえぜえと、体全体で息をしている。
「殺させるものか、殺させるものか、殺させるものか、殺させるものか……っ!」
 正気を失ったようにうなり続けるミトを抱きしめて、壱与は無言で下唇を噛んだ。
(……そんなに追いつめなくていいのに。私さえおいていってくれれば、 貴方はすぐにでも楽になれるのに)
頭ではそう思っているのに、彼女は少年から離れられない。むしろ思っていることと逆のことを考えているかのように、体はぎゅうと少年の体にしがみついている。ああ馬鹿だ。自分は救いようのない馬鹿だ、と壱与は思う。抱き合っているうちにミトは落ち着いてきたらしく、いつのまにか呼吸も安定していた。
 雨の音は遠ざかりこそはすれども決して鳴りやむことはない。ミトの「殺させるものか」という言葉はいつのまにか「死なせない」という言葉に変わっていて、まるで子守歌のように壱与の耳朶を叩いていた。
 その声はいつまでも聞いていたくなるほど優しくて、泣きたくなるほどいとおしい。
(……やだ、寝たくないのに)
 自分が寝たらミトが休めなくなってしまう。どちらかが起きて、追っ手がきていないかどうか見張っていなければならないのに。
 そう思って、壱与は懸命に意識を保とうとしたが、ミトはそんな壱与のことなどお見通しだと言わんばかりに壱与に寄り添い、ふっと人の姿に戻った。
「――――壱与、私は大丈夫だから」
 そう言いながら、ぽん、ぽん、と壱与の背を叩く。
「大丈夫だから、壱与は休め」
 安堵感に眠気が深まり、今にもすとんと眠りに落ちてしまいそうだった。
(いやだわ。ミトはいつだって私を甘やかすんだから……)
 そう思いながらも、もはや身を離して抵抗する体力さえない。
 自分を包む体温を感じながら、壱与は意識を手放した。

●○●

 思えば呼吸をすることを覚えるより早く、ミトという名を呼ぶ方が先だったような気がする。
 この世に生まれて太陽の光を見るよりも早く、自分の目はミトの深金の瞳を移していたような気がする
 むろんそれは『気のせい』でしかないのだが、壱与にとってはミトはそれくらい近しい存在で、大切な存在だった。

 優しく優しく、育てられた。大切に大切に、育てられた。

 分かっているからこそ、壱与もミトを大切にしたかった。なるだけ傷つかないでほしかったのだ。
 その日のミトは至極無表情のまま、鉄の刃物で鹿の腹をかっ捌(さば)いていた。
 これからこの鹿を適切に分解して血を抜いて、食べられる状態にするのである。
 壱与は大木の枝に座って足をぶらぶらさせながらその様子を見ていたが、やがてふっと思い立ったようにストンと大地に飛び降りた。
「……ミト。その作業、私がやるわ」
「オマエの細腕じゃ無理だ」
「いいから。……その包丁、貸して」
 壱与は有無を言わさずミトから包丁をぶんどって、ミトに代わって鹿を捌き始めた。
 ミトが言った通り、確かに華奢な壱与が巨大な鹿を捌くのは大変そうであったが……出来ないわけではなさそうだ。見よう見まねではあったものの、物覚えがよく手先も器用な壱与は危なげなく鹿を捌いていた。
「……まったく、そんなことしなくていいのに」
 ミトはどこかふてくされたように、壱与のほうを見て言った。
「殺すのもバラすのも、私の方が好きだし得意なんだからな」
「嘘つき。何かを殺すの、嫌いなくせに」
 壱与はあっさり切り捨てた。
「何かを殺すときはいっつも血の気がなくて真っ青になってるの、私知っているのよ? 追っ手を殺すときにはぞっとするような無表情になっているし」
「……」
 壱与が言ったことは図星だったのだろうか、ミトはなにも言い返せないようだった。

 ――――死んだ者は、二度と帰ってこない。

 それがミトの口癖で、ミトの根幹を支える価値観でもあった。
 だからミトは極度に『殺すこと』を恐れるし、時として死体に触れることさえ嫌がっている。……小さい頃に何かあったのではないか、と壱与は思うがミトは「覚えていない」という。
「……なぜそう思うようになったのか、私にも分からないんだ。だが……死んだ者は絶対に帰ってこない、ということだけは、生まれたときから分かっていた」
「生まれたときから?」
「ああ、生まれたときからな」
 ミトは淡い笑みを見せる。
 壱与がきちんと肉を裁いていることを確認して、自分は作りかけだった住居を作り始めた。
 しばらく二人とも黙って、それぞれの作業に没頭する。だがふいに、ぽつりとミトが口を開いた。
「――――気がつけば壱与が隣にいたんだ」
「そうね。私が赤ん坊の時から、ずっとミト、そばにいてくれたんだものね」
「ああ」
 応じた壱与に、ミトが笑う。
「……楽しかった。壱与が笑えば、私も笑いたくなった。壱与が泣けば、私も泣きたくなったりムシャクシャしたりした」
 ミトは続ける。
「私は壱与を育てたけども、同時に壱与は私を育ててくれたんだ」
「……けど私のせいで、ミトはしなくてもいい怪我をたくさんしているわ」
 小さな声で、壱与は言った。追っ手も化生もほぼ例外なく『壱与だけ』を狙っていて、つまり壱与を放っておけばミトは怪我をしないですむのだ。ミトは逃げればいいのよ、と壱与は小さな声で言った。視線の先にはミトの包帯だらけの手足があった。
 しかしミトは壱与の言葉を苦笑混じりに否定した。
「壱与と居れば私はたくさん殺しをしなければならないけど、壱与から離れることなんて、私には考えられないんだ」
 だから、とミトは続けた。
「……気に病むな」
「え?」
「だから、壱与が気に病むことはないと言っているんだ。私は確かに殺すことが嫌だけれど、私なりに納得して殺している。好き好んでお前のそばにいて、お前と居るために敵を殺しているんだから、お前が気にすることはないんだ」
 そう言ってミトは笑う。
(……ミトは私を甘やかしすぎだわ)
 鹿を捌く手を止めて、壱与は下唇を噛む。
 ミトは壱与が気づかなかった気持ちまですくい上げて、心配ないと笑って見せてくれるのだ。
 情けなさのあまり、じわり、と目元が潤むのを感じた。自分が情けないせいでミトによけいな傷を負わせて仕舞う、と思えば尚更のこと。
「い、壱与っ?」
 壱与の様子に気がついたミトが慌ててかけよってくる。暖かい手が涙を拭った。
「壱与、どうしたんだ、泣くな」
「うん」
「だから泣くなと言っている。ほら、泣きやめ。おまえが泣くと私まで辛くなるんだぞ……知っているのか?」
「うん、知ってる。ごめんねミト」
 はらはらと涙をこぼしながら、壱与は笑った。ミトが呆れたため息をつく。
「だから、分かったんならちゃんと泣き」
 ため、とミトが言いさした時、ひゅん、と鋭い音が聞こえた。矢が放たれた音だ、と気がついたときには矢が仮設住居に刺さっていて、矢につけられていた火が家に燃え移ってしまっていた。
「――……ほら見ろ天罰が下ったぞ。壱与がいつまでも泣いていたから家が炎上したじゃないか」
 あっというまに炎が燃え広がる仮設住居を指さして、ミトがニヤリと笑いかける。
「……どういう論理展開よ。天罰なんかあるわけないでしょ?」
 泣きかけの鼻をこすりながら、壱与は言った。
「そんなことよりも……」
「うん、敵だな。逃げよう」
 ミトはさらりと答えたかと思うと、壱与をひょいと抱きかかえ、そのまま大樹の木の枝に飛び乗った。
「馬鹿なやつらだ。私たちに手を出したらどんな目に遭うか……思い知らせてやる」
 ミトが鼻で笑っている。
 しかしそれが虚勢でしかないことを、壱与は十分に分かっていた。ここ最近、着実に敵の数が増えている。このままだと一年後、二年後にはいったいどうなってしまうのだろうと思うとたまらなく不安になる。

 どうすれば、この大切な山犬を失わないですむのだろう。

 ミトの衣をぎゅうと掴みながら、壱与は思った。
 戦う力が欲しい。無理なら守る力が欲しい。
 それが無理ならこの戦いそのものが終わるのを待つしかない。
 この戦いはいつまで続くのだろう。
 敵の正体をつかんで、それをたたきつぶすまで?
(それとも……)
 なかば暗澹たる思いで、壱与は糸のように細い息を吐いた。
 ――――それとも自分が死んでしまって、ミトが戦う理由が消えてしまうまで?

○●○

 雨の音で意識を取り戻した。
 どうやら本当に眠ってしまったようだった。しっかり夢まで見てしまうあたり、自分は案外神経が図太いのかもしれない。
 あの鹿を捌きながら離した日……あれはいったいいつだっただろうか。ものすごく昔のことだったような気がする。
 緩慢な動作で壱与は顔を上げ、「どうした?」と首を傾げるミトを見つめた。……傷だらけだ。きれいな顔をしているのに、頬に大きな切り傷まで出来ている。壱与はぐしゃりと顔をゆがめた。
「心配するな」
 ミトは笑って壱与の背に回した手を少しゆるめた。
「私は大丈夫だから……もう少し休め。お前は体力がないのだから」
 そう言って笑う声は、聞き間違えようのない程かすれている。何度も血を吐き、のどにだって傷が付いているのかもしれなかった。
 ――――限界だ。と壱与は思った。
 何が『限界』なのかなんて、壱与自身にも分からなかった。だけどこれ以上ミトが傷つくのを見ていられない。これ以上へ粋な顔をしていられるほど、壱与は強くなれなかった。
「ねえ、ミト」
ミトに抱きつき、ミトの胸に顔を埋めて、ミトの目を見ないようにして、
「お願い……置いて、いって」
 ミトが何か答える前に、激しい轟音が響いた。

*    *    *

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Date:2012/01/15
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